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たかが建築士。。

  • Posted by: skiyose
  • 2005年12月26日 16:49

一級建築士の登録者数は31万人にものぼる。日本の人口は約1億2千数百万人という。
単純計算でいけばおよそ400人に一人が一級建築士の資格者のようだ。
故に「たかが建築士」といわれる。

しかし、一級建築士の資格者は建築士法によれば殆どすべての建築物を設計し、工事の監理をすることのできる権限を持つ。「されど建築士」なのである。今年11月に発覚した構造計算書偽造事件は、このような一級建築士の権限と尊厳を一人の一級建築士およびそれをとりまく関係者によって破壊された。
社会は、「一級建築士はたかが建築士以下であったか」と今、見ようとしている。建築士法によれば、その第一条に「この法律は、建築物の設計、工事監理等の技術者の資格を定めて、その業務の適性をはかり、もって建築物の質の向上に寄与させることを目的とする」とある。資格者としての一級建築士の置かれている立場や仕事の関わり方は様々である。
そのための技術者としての使命を持たされている。400人に一人の一級建築士がそのことを自覚し行動すればこの国はもっとよくなるはずなのだ。
通常、建築主から設計事務所が設計監理の依頼を受けその業務行なうのが当然のことで、工務店に雇用され、支配された形でその業務を行なう上で、建築の質と倫理を保ち得ることが可能なのだろうか。そこに問題があるのではと思う。建築設計者、構造設計者、設備設計者それぞれの立場で自立し、互いの情報を共有する仕組みが必要だ。
また、建築物を造る場合、建築確認申請という届出が必要だが、それはあくまで確認業務ということを再認識する必要がある。申請過程で、その申請先が民間主事であれ、自治体の建築主事であれ、「この地域にこのような建物を建築したい」と申請し、それを「確認した」と通知するだけのことなのである。したがって、その図書に万一、不備等がある場合でも、その後の工事に関しては建物の質を維持し、違法性なきよう施工を行ない、監理するのが、設計者、施工者および建築主の義務であり責任である。つまり「自己責任で法にもとづいて施工しなさい」ということであり、建築の質と安全性のために、設計者や施工の当事者および関係者の良心にゆだねられているのである。そのことを肝に銘ずべきである。
「設計の報酬というのは、建築家の自由の保障なのだ」とはある著名な建築家のことばである。
その言葉のもつ意味は重い。
そして建築の設計に関わるものの自立した立場を得る手がかりがある。
「されど建築士」なのである。

Comments:3

ehouse 2005年12月27日 11:17

建築が、住まいが、一商品となり、一作品となるのに悲しみを覚えます。
建築家は、もっと人間のことを考えなくてはなりません。
そこに住む人や利用する人あっての住まい、建築なのですから。
住まいと人との関係が、経済的な価値観によって無視されている現状を
何とかせねばということです。
お客様の喜ぶ顔を思い浮かべながら毎日パンを焼くパン職人の何と偉大なことか。
丹精込めて米を作る百姓の何と純粋なことか。

RORO 2005年12月27日 12:09

ookuno hokori ga sora ni kieta machi
seijika isya keisatsukan ginkou nadonado
sosite kentikuka?
hitobito kara hokori ga kieta noha naze?
[kasaga nai] no hure-zu ga setsunaku kanasiku
sosite aware ni atama no naka de kurikaesareru

PURO no isiki IKKYUU NYUUKON nidodo modoranai
modorenai jibun no jinsei o AISITE ITOSINDE hosii

sonna omoi no HANADANGO desu...moji bake jyoutai nite... siturei simsita

skiyose 2005年12月27日 18:23

作られた建築物が、商品であれ、作品であれ、作る人、使う人、それぞれの思い入れがあり共有することで、そこに価値が生まれると思うのです。

そのようなものをこれからも造り続けていきたいものですね。

Roma字で投稿されたRoRoさん、今、悲しみを覚えておられるehouseさん、
コメントありがとうございました。

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