- 2005年11月24日 18:59
山懐に抱かれた寺とそのふもとの集落。はるか彼方に信州の山々が見える。扇状地の典型的な風景である。昨日、天候にも恵まれ、義父の四十九日の法要があり、菩提寺の裏の墓地に納骨を済ませた。数年前から盆地の厳しい気候の変わり目の体調を気にかけながら、今夏、親族一同が集まり、義父母の金剛婚を祝った矢先に逝ってしまった。祝い席での笑顔と、いよいよという時に見舞いに行き「すまねぇな」と私にいった言葉が心に残る。この里で生まれ、街に出て家庭を持ち、相応の社会的地位を築き、子供たちの一人たちを見とどけた後の彼の人生は平穏であったろうと思い描く。そして、最後は、自分が生まれた里に戻り、土にかえっていった。
納骨をすませ、里山の木々に目を見やるとき、蓮如の御文-白骨章の一節が聞こえてくる。。
それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、
おほよそはかなきものはこの世の始中終、まぼろしのごとくなる一期なり。
さればいまだ万歳の人身を受けたりといふことをきかず、一生過ぎやすし。
いまにいたりてたれか百年の形体をたもつべきや。われや先、人や先、今日ともしらず、
明日ともしらず、おくれさきだつ人はもとのしづくすゑの露よりもしげしといへり。
されば朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり。 (御文-白骨章より-蓮如)
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- 路露 2005年11月25日 12:13
されば まぼろし探偵の如く
我がまぼろしをば探偵し
そこに花あれば花と戯れ
団子があればそれを楽しみ
路傍が露の我が身なれば
踊り踊って天に昇らんと
踊りの稽古を続ける毎日(ご心配おかけしましたが オイラ今日からとりあえず「元気」です)