- 2006年1月22日 15:00
レンズメーカーのコシナが、NikonFマウントを装着したCarlzeissT*レンズシリーズでPlanarT*1.4/50ZFと同1.4/85ZFをだした。
これらのレンズはかつてのContax一眼レフのためのものでその表現力には定評がある。
私のNikonたち
そこにCarlzeissT*レンズを装着して写真を撮ることができると思うと楽しくなってくるのだが。。n
現実は、フィルムカメラをとりまく状況はかなり苦しい。
そのような中、1月11日Nikonよりフィルムカメラ製品のラインアップ見直しについてというインフォメーションがあり、写真愛好家の間で大きな関心を呼んだ。その思いの一つが、penkouさんの「写真史の転回点、フイルムカメラからのニコンの撤退」の記事からも読み取れる。
昨年4月の京セラ-CONTAX事業終了、ニコンに続いてコニカミノルタのカメラ事業、フォト事業の終了と今後の計画などのインフォメーションを見る限り、カメラのデジタル化が一気に進んでいるようだ。
確かにデジカメは便利だ。その場で撮ったものを確認でき、時間差なくプリントアウトもできる。オートフォーカスはもちろんのこと、手ぶれ補正機能もつき、カメラを向けてシャッターを押せばそれでいい。しかし、記録という機能には優れているが、あるものを対象に写真を撮り、表現する手段としてそれを使う気になれない。それは単にデジカメのデザインのせいかもしれない。あるとき、量販店で、フィルムカメラとデジカメのデザインを見比べてみたが、総じてデジカメは厚ぼったく、フィルムカメラはスリムという感じがしたのは私だけだろうか?どうみても、ライカMシリーズの方がかっこいいし、NikonFシリーズも同様「写真機」という雰囲気を漂わせており、それを使って写真撮りたいという気にさせてくれる。
今、一つのものに色々な機能を盛り込んだものが尊ばれるという時代の流れがあるのも事実。
しかし、一つの目的のために作り込まれた物を使うという気持ちよさがあってもいいのではと。。
コシナとカールツァイスの試みはある意味、そういった気持ちに応えてくれたようだ。
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Comments:1
- penkou 2006年1月25日 10:11
TBありがとうございます。
カメラという存在は、考えてみると不思議ですね。
写真を撮る道具には違いないのですが、写真を離れてみても、その存在自体が人の心に宿り、様々な想いを抱かせてくれます。
Memoさんが言われるように、デジカメとフイルムカメラ(と書いてきて、カメラといったらわざわざフィルムカメラなんていわなくても良かったのにと愕然)との、形の違い、それ自体が今の状況を象徴しているような気がします。
それとおっしゃる機能。全く持って余計なものがあり過ぎて混乱。なぜか説明書が見つからず、例の一眼デジカメのどこかがどうかなって急に撮れなくなってメーカーに持っていかなくてはいけなくなってしまいました。なんということか。どっかを押してしまったのかも!